今回は序文です。この後各話の膨大にある伏線をまとめる記事も書く予定ですが、正直伏線(だと自分が思ってる箇所)や見どころがありすぎて、まずざっくりと全体の分析をすることにしました。
言わずもがな、内容に深く触れていますので見たことがない方はネタバレを含むどころか、何が楽しいのか分からないと思います。1日あれば見れますので、ぜひ1度ご覧になってください。(ニコニコや複数の配信サイトで見れます)
よりもいの不思議
本作の評価で驚いたのはその範囲の広さと好きな所のばらつき、だ。私は今でもこのアニメは自分のような道から外れたおっさんにしか受けないのではないかと思っている所がある。しかし現実は年齢はおろか、性格、人種の壁を超え、世界の至る地域でも評価されている。すなわち万人受けしているのである。
しかもただ評価が高いだけではない、好きな所が分かれるというのも他と違うところである。全体的に良かったという意見は一致していても、ではどこが一番好きなのか、という話になるとほぼ確実に話数やシーンが分かれる。特に南極に着く前がよかったという人と着いた後が素晴らしいという人でガッツリ分かれたのは驚きだった。
そうした評価に触れていって色々気づいた、この作品の良さの一端、構造の凄さと多様な価値観を"抱擁"するシナリオの深さについて、ここでは11話を例にして語っていこうと思う。
11話あらすじ
まずは構造について語る前に11話の流れを整理しよう。
11話は隊長の吟が旅の最終地点への内陸旅行へ行くかどうか迷っているのと並列して、新年の中継の予行練習が描かれる。そこで日向の陸上部に居た頃のメンバー達が登場し、それを見た日向は練習を抜け出してしまう。気になった報瀬が探ると日向は一度は誤魔化すも理由を話す。
日向は陸上部にいたころメンバーに説得され、いい成績を出した結果、先輩が代表から漏れてしまう。そのことで先輩がメンバー達を問い詰めると彼女らは「日向には空気を読めと言った」と嘘で誤魔化してしまったのだ。この事に傷ついた日向は陸上部を辞めるも、その後悪い噂をたてられ退学したのであった。
日向は彼女たちを許すべきか迷っていたと話す。「許せば自分も楽になるかもしれない。しかし、メンバーらがそれで安心しているのを見るのはムカつく。小さいな私は」と。この日向を見た報瀬は中継が始まる前にメンバー達を「日向に関わるな」と一喝。日向は泣いた。そしてそれを見ていた吟は内陸旅行を決意する。
よりもいは歌である
この11話に対する意見も様々だ。陸上部のメンバーは日向を傷つけたのだから許されるべきではない。和解を是とするアニメが多い中、許さなかったこの回を評価する。陸上部のメンバーに悪意は感じない。罵倒されるのはかわいそう。等
このようなツイート3年間見続け、色々考えていた私は最近ある事に気付いた。それは我々は日向を全く知らないという事だ。いや、11話で散々過去が語られたではないか、と思われるかもしれないが、それは日向の断片的な言葉(を映像化したもの)を受けた我々の想像でしかない。実際に何があったは描かれていないのだ。
普通のアニメならば回想の捉えられ方は限られてくる。なぜなら制作者の期待している効果は現在起きている事の理由付けであり、違う捉えられ方をすると物語が破綻してしまうからである。しかしよりもいは違う。日向の退学した過去も、結月の友達を作ろうとしてできなかった過去も、報瀬の馬鹿にされた過去も全てはそのキャラからしか話されていない断片的な物であり、実際に何があったかは重要視されていないのだ。重要視されていない。ここがポイントだ。
私も11話を初めて見た時は「日向は陸上部のメンバーに裏切られ、その後退部するも”日向の”悪い噂をたてられて居づらくなり、退学した」のだと思っていた(勿論、そうである可能性は高い)。しかしこう考えても成り立つ。「日向が退部した後、”メンバーらの”悪い噂がたてられ、居づらくなった日向が退学した」。これは過去を振り返るセリフの悪い噂の主語がないから成立するのである。我々は日向が心の底からあのメンバーを憎んでいるか実は分からないのだ。(ここについては次章でより詳しく見てみよう)
また報瀬の喝の言葉も見事だ。実際のセリフを見てみよう。
悪いけど、三宅日向にもう関わらないでくれませんか。
あなた達は、日向が学校辞めて、つらくて苦しくて、あなた達のこと恨んでると思っていたかもしれない。毎日部活のこと思い出して、泣いてると思っていたかもしれない。けど、けど・・・
「けど、そんなことないから! 日向ちゃんは今、私達と最高に楽しくて、チョー充実した、そこにいたら絶対できないような旅をしてるの!」(キマリ)
日向は、もうとっくに前を向いて、もうとっくに歩き出しているから。私達と一緒に踏み出しているから!
(中略)
私は日向と違って性格悪いからハッキリ言う
あなた達はそのままモヤモヤした気持ちを
引きずって生きていきなよ
人を傷付けて苦しめたんだよ
そのくらい抱えて生きていきなよ
それが人を傷付けた代償だよ
私の友達を傷付けた代償だよ
今さら何よ・・・ざけんなよ!
花澤さんの迫真の演技であたかも怒りをぶつけているように感じるかもしれないが、文章にしてみると最後の「ざけんなよ!」以外は、まるで諭しているような言葉が並ぶ。特に前半は日向は私たちに任せておけばもう大丈夫とはっきり言っている。もちろんこれはこれ以上関わるなという拒絶の言葉である。しかし私はそれだけでなく、チームメイト達に傷つけてしまった事を一生背負う覚悟を決めろと激励しているようにも感じた。
これがどう凄いのかというと同じ映像を見せているのに「自分の好きなように解釈できる」のだ。すなわち過去に友達に裏切られて傷ついた人は日向が裏切られたメンバーを報瀬が罵倒して救う勧善懲悪の話として観ることができる、逆に軽口から友達を傷つけてしまった人は画面越しに報瀬の言葉を受けて背筋が伸びる思いがしたかもしれない。そして最も大事なことはどちらに解釈しても破綻せず、非常にいい話になるようになっているのである。
我々ファンは細かく語られないよりもいのキャラ達の過去を知らないが故に、自分の過去の経験や他の創作物で得た価値観で自分用の物語を作って楽しんでいる。それはまるで歌詞に自分を重ね、気分を高揚させる歌のようでもある。それゆえに価値観の違う多くの世代や国や地域を超えて評価されるのではないだろうか。
またよりもいを見てもピンとこない人、というのも中にはいる。歌詞が自分向けではないと思ってしまう人にはよりもいは全く響かないだろう。しかしそれは当然の事なのである。
私は冒頭で話した通り、自分でもよりもいレベルの作品が作りたくて分析をしているが、この構成は誰にでもできるものではない。なにせメインのキャラ4人中3人、加えて大人達の信念を支える回想の内容を固定せずファンの想像に委ねるのだ。下手な作品なら全く機能せず作品自体が倒壊してしまうだろう。よりもいは数々の青春アニメを作った花田先生の脚本で回想に視聴者が介入しやすい構造を作ったうえで、素晴らしいBGM、作画、声優陣による演技、南極の知識、キマリという主人公など他の要素が作品を支えているため、この構成が成り立つのではないだろうか。
↑キマリや他の素晴らしい要素が、視聴者が自分を当てはめやすい構成を確保する
汝、価値観を抱擁せよ
続いて価値観を抱擁するシナリオについて
私は前章で日向の過去についてどうとでも取れると書いた。これは陸上部のメンバーらを”悪役であって欲しい”と望む人々は受け入れられないかもしれない。しかしここで考えて欲しい。ではなぜめぐっちゃんは絶好無効されてメンバーらは絶好を宣言されたのか、なんで報瀬の一喝を見て吟は最終目的地に行くことを決めたのか。
1つ目のめぐっちゃんに関しては答えは明確だ。めぐっちゃんの相手がキマリでメンバーらの相手が日向だからである。立場が逆だったらどうなるか。キマリだったらメンバーらも許したかもしれないし、日向だったらめぐっちゃんの行動は許さず謝罪を受け入れて疎遠になかったかもしれない。よりもいのメイン4人はバラバラの性格を持つ。しかしそんな4人が南極へ行くという目的の為、ぶつかりながらもお互いを認め、一緒に行動するのである。
ここに多様な価値観を認める優しさと強さがある。どちらが正解という事はないのだ。よりもいが道徳の教材になると言っている感想も見たが、むしろこの作品は道徳的な事は勿論、社会において反道徳的と取られかねない価値観をもある程度認めている所が多様な人々に愛される理由なのかもしれない。
11話の構成で凄いなと思うところの1つに「先輩につめられたメンバーらが誤魔化で言ってしまった言葉に傷ついた日向が報瀬に問い詰められると誤魔化してしまう」というところがある。あれほどキマリ達が嘘ついてない事をいいと言った日向自身が嘘を付くのだ。それ以外にも見返すと日向はどこか自分の本心を誤魔化しているようにも見える。例えばメンバーらに対して怒りを感じていても、同時に結月があっさり消したメッセージツールの連絡先を消せずにいる。退学するほど傷ついたはずなのにぼろぼろの陸上部のシューズを捨てずにいる。
11話で日向は自分を知る者のいない新しい環境にいたいので南極に来たと言った。しかしそれだけではなく、もしかしたらちぐはぐな自分の状態をリセットしたくて来たのではないだろうか。しかし報瀬の一喝によって、日向の問題は「メンバーらを許す」「許さない」という選択がなされず「報瀬は許さない」という決着がなされた。ある意味モヤモヤした気持ちを引きずって生きていくのは日向もそうなのである。ただ今の日向には報瀬がいる。自分がどんなに自分を嫌いでもそれをまるごと認めてくれる盟友が。きっともやもやも以前ほど苦しくないのではないだろうか。
報瀬の一喝はメンバーらではなく、吟達中継を見守る大人組にも刺さる事にも注目したい。大人組は遭難した貴子を仕方なく南極に置いたまま帰国してしまった人々である。ある意味仕方がなく先輩に誤魔化しの言葉を使ってしまったメンバーらと同じなのである。また報瀬自身にも一喝の言葉が刺さる。報瀬は母の遭難を知ってから3年間バイトでお金を貯めてきた。それは中学時代にいた友達と疎遠になることを意味している。南極に行くことをまわりに反対された報瀬は、それでも我を通した結果、恐らく周りの人を傷つけている。しかしそれでも彼女はそんな自分を間違ってないと奮起する。人を傷つけた事実を自覚しながらも、それを抱えて目標に向かって邁進しているのだ。
更に言うとキマリもめぐっちゃんの尊厳を傷つけてはいるし、友達の意味を理解していなかった結月も何回か遊びに行こうと誘ってきた3話の2人を傷つけているかもしれない。実は11話のあのシーンで日向の周りにいた人々全てが誰かを傷つけている可能性があるのだ。罪はないかもしれない。でもその事実は一生抱えて生きていくしかないのだ。
故に吟は報瀬の一喝を受けて最終目的地へ行くことを決断したのだと思う。自分達がやりたかった事をやり通すこと、また報瀬がその強さを手に入れている事を確認できたからこそ危険の伴う内陸旅行を決行出来たのではないだろうか。
この後各話の伏線などを列挙したり語ったりしていくが、もしかしたら貴方は納得できないかもしれない。或いはどういう経緯か、よりもいが嫌いなのに見てくれた人もいるだろう(ありがとうございます)。仮にそうだとしても、自分を否定しないで欲しい。例え人に何を言われようが、どうするかは自分次第。喜び、怒り、妬み・・・様々な感情とそれを生む多様な価値観、それら全てを抱擁し、前に進むことの尊さをよりもいは教えてくれている気がする。
記事を書いた人
おまけ
オチが特にないので11話をリアルタイムで見た時書いてしまったポエム置いておきますw
3年間かけてようやくこのクソでか感情を言語化できたかも。
https://twitter.com/shoyofilms/status/973583086955896832