アニメ感想から見る価値観。納得と幸せの話

最近アニメとその感想を見ていてぼんやりと感じている「納得」の話をしようと思います。


合理的な行動をしないキャラ達

最近メディアの記事で劇場版アニメ「竜とそばかすの姫」のレビュー記事を拝見しました。(ネタバレを含むのでまだ見てない方はご注意下さい)

 

もちろんねとらぼさんだけではなく、他のメディアでもこういう記事は出ていますが、この記事は特に過激なタイトルでつい読んでしまいました。書いてある事を要約すると主人公も含めてキャラが合理的でない行動ばかりして(行政などに頼らず自分勝手に行動して)物語が破綻しているという物だと思います。

「竜とそばかすの姫」を制作した細田守監督の近年の作品、たとえば「おおかみこどもの雨と雪」などはアニメーションの精緻さで高い評価を得る反面、こういう意見もたまに目にします。「キャラの行動原理がわからない」「監督の価値観がおかしい」「時代に沿ってない」など。

また、他のアニメでもたまに「キャラが合理的な行動をとらない」ことが批判の対象になります。例えばスーパーカブで主人公が免許取得1年以内なのに2人乗りをしてしまったり、宇宙よりも遠い場所で主人公達が嵐の海を進む舟で波がかかるところまで外に出てしまったり。

私自身も同意まではいきませんが気持ちは分からなくもないのです。確かにもっとうまく立ち回ればそもそも問題は起きないし、主人公達ももっと楽しくなれたはずなのに、と思いました。ただそれで作品に問題や危険性があるとは思わず、むしろリアルだなと思ったり、新しい可能性があると思いました。そこから色々考えたことを語ろうと思います。

(この記事はそういう批判的な意見を封殺したいわけではありません)

定義:作品に問題があるとは?

そもそもの話なのですが、作品に問題があるというのは私の中では作品が再生できなかったり、ページが大幅に落丁していたりするなどの状態だと思っていて、無事に全シーンが監督の意図通り視聴可能な状態で公開されているものは問題があるとは思いません。ただ、前述のような意見の「作品に問題がある」というのはそうではなく「作品に納得が出来ない」状態なのではないでしょうか。

作品に納得がいかないなら怒る気持ちもわかります。視聴者は時間とお金を消費して作品を味わっているのですから、それが不味いものなら怒りこそしなくとも、もったいなかったなと思ったりもするでしょう。

実は私も作品に納得が出来ずそういう思いをした事は何度もあります。例えば「BLOOD-C」と「劇場版 SHIROBAKO」がそうです(偶然にも同じ水島努監督の作品ですが、たぶん関係ありません)。ネタバレになるので多くは語りませんが両作品ともストーリーの構成が気に入らず、SNSに辛辣な意見を書いてしまいました。今では反省しております。

納得の重要性

前述した「宇宙よりも遠い場所」ですが、これは私が見たアニメの中で1番面白いと思うほど好きなアニメです。色々な悩みからも救ってくれた作品で、私自身は例のシーンも問題に思うことはありませんでした。

見たことがない方に軽く展開を説明したいと思います(ネタバレが嫌な人や自分で見たいと思った方は先に「宇宙よりも遠い場所」8話まで見てください)。

まず主人公達4人は様々な行動をおこし、運にも恵まれて本来乗る資格がない南極へ向かう観測船に乗ることができました。しかし観測船は気象の激しい南極周辺の地域を航行する際に激しく揺れ、4人はひどい船酔いでダウンしてしまいました。眠りにつく事も出来ず、繰り返しトイレで食べた物を全て吐いてしまう厳しい状態ですが、それでもこの船旅は自分達で選んできたんだと奮い立たせ、いずれこの辛さもいい思い出になると前を向きます。次第に環境になれた4人は嵐の中外に出て波をかぶり笑いあうのでした。

このシーン、確かに危険ではあるんですよね。実は海上自衛官が同じ事をやったという記録を元にしていたりするらしいのですが、主人公達は女子高生ですし、普通に海に落ちて悲惨な事故となってしまうことだってあった。監督のいしづかあつこ氏も分かったうえであえて描いたシーンだとインタビューでこたえています。

ただ問題があるかどうかは個人の感想なんじゃないかなと思いました。危険な行動でもあの4人ならやってしまうと思いましたし、このアニメならそれすらもいい話にしてしまうのではないかという信頼がありました。

(当時のツイート)

ただ、納得できない人はいて当然だと思います。そういう人にとってこの作品が駄作になるであろうことも。つまり納得感というのは作品を鑑賞するうえで非常に重要で、作者はそこに気を付けなければならないのだと思います。

ただそれと同時にもし私が広い納得の受け入れ口を持っていれば作品どころか、もしかしたら私の人生も幸せになるのではないかとも思いました。

偏見と幸せ

人は理解できない物を拒むと言われています。自分の理解できない人や物は不要だと考え、時に偏見を持ったりもしてしまいます。私も例外ではなく、そういう気質があると自覚しています。

それは本能的な畏れでもあり大切な面もありますが、同時に納得できるものを増やして(畏れつつも)知ろうとすると、世界が少し広がったような感覚になり、味わい深くなる感覚があります。苦くて食べられなかったピーマンが、大人になって苦くておいしいと感じるように。リテラシーを持つというのはこういうことを言うのかも知れません。

ちなみに前述した「BLOOD-C」は「確かにシナリオは好きな物ではなかったが、キャラデザや戦闘シーンはよかった」と良さを認めました。

「劇場版SHIROBAKO」は(楽しめたことは楽しめたのですが、)TV版のSHIROBAKOが好きすぎて尺の短い劇場版では描かれなかった作品を制作するシーンが少ないのが不満だったのですが、様々な感想を見ることで劇場版はTV版と違い、「SHIROBAKO」主人公の宮森個人の「死と再生の物語」なんだという納得できる解釈を得ました。

また後に「劇場版 映画大好きポンポさん」を見た時に劇場版SHIROBAKOで見たかった制作のシーンを劇場で存分に堪能でき、「ポンポさんの」主人公のジーン君(編集担当)と宮森(プロデューサー)の担当の違いから物語が違うのだなという事で納得できたのも大きいと思います。

実は劇場版SHIROBAKOを見た当時、あまりに不満で、それを分析した記事にしようかとも思ったのですが、結果的にやらなくて良かったです。不満や怒りも「あり」だとは思いますが、それを自分で作品として発表してしまうと本人がずっとその感情に捉えられてしまうのでやっていたら今でも納得できなかったかもしれません。現在は自分ルールで納得できなかったら感想はSNSに1回だけ良かった所と一緒に書いてそれで手を打つ事にしています。

合理的な行動をしないキャラの可能性

冒頭で触れた「竜とそばかすの姫」や「おおかみこどもの雨と雪」で感じた可能性について書こうと思います。

確かに両作品ともキャラは合理的な行動をしません。主人公も少々短絡的で考えが足りないと思われるところがあります。しかし、それは現実の人間もそうではないでしょうか。私も普段は思慮深くありたいと思いながらも、いざという時には独断で愚かな選択をしてしまうことがあります。

両作品に納得できない方は、せめてアニメの中だけでも合理的な行動をする人物たちだけの世界を見たいと思っているのかもしれません(私もそう思う時があります)。しかし私は「宇宙よりも遠い場所」に救われた経験から、そういうアニメが、私とは考え方が違う人を救うのではないかと期待しています。

また人々が多様な考え方をもつことにも寄与するとも考えています。私はアニメやSNSを長年鑑賞してきて、世の中には様々な考え方と正解があり、それらは一つにならない事を学びました。そしてそうした環境があったのは古くから世界中の多くのコンテンツが異なる価値観のもと制作されているからだと考えています。

故に「竜とそばかすの姫」や「おおかみこどもの雨と雪」のような作品も否定されるべきではないとおもいますし、もしそれば私とは考えが違う人に届きうるのであれば、その人達が複雑な価値観を形成する手助けになるのではないかとも考えています。

もしかしたら自分はこのアニメでは納得できないかもしれない。しかし別の誰かを救うかもしれない。そう考えるだけで、ちょっとは納得できるかもしれませんよ。
(まあでも自分が納得できない物が世の中で絶賛されると不満に思う気持ちもわかる・・。)

納得できない人の可能性

この記事は冒頭でも触れたように私が思う事を書いてるだけで納得できない人の意見を封殺する目的はありません。それに私は納得できない人にも「より納得できる作品を作ってくれるかもしれない」という可能性を感じています。

例えば私の大好きな「宇宙よりも遠い場所」は幸いなことに多くの人に納得されているようですが、当然あの物語に納得できない人はいるわけです。そういう人は私が「劇場版 SHIROBAKO」でしたように自分を納得させる方向に歩んでもいいですし、自分がなぜ納得できないのかを掘り下げて、より納得できる新しい作品を生み出してもいいと思います。

とまあなんか色々書きましたが、最近ライターになれたので、そこでは多くの人を納得させる記事を書けたらいいなあと思う今日この頃なのでした。

記事を書いた人